種別 | 索道名 | 距離 | 架設年 | 許可年 | 索道メーカー | 脚注 | |
4-CLD/B | 銀嶺クワッド | 1566 | H2 | H2 | 東京索道 | ||
4-CLD/B | かもしかクワッド | 1083m | H17 | H17 | 日本ケーブル | 5m/s対応 | |
2-CLF | 黒森山ロマンス | 528m | H4 | H4 | 東京索道 | ||
2-CLF | ぎんれい第1ロマンス | 820m | H9 | H17 | 東京索道/日本ケーブル | H17延伸、原動機交換 | |
2-CLF | ぎんれい第3ロマンス | 830m | H2 | H17 | 東京索道/日本ケーブル | H17延伸 | |
2-CLF | 水沢ロマンス | 933m | H3 | H3 | 日本ケーブル | ||
種別 | 索道名 | 距離 | 架設年 | 許可年 | 索道メーカー | 脚注 | |
2-CLF | ぎんれい第2ロマンス | 814m | H9 | H9 | 東京索道 | ||
1-CLF | 駒ケ岳第1 | 613m | -- | ||||
2-CLF | 駒ケ岳第2ロマンスA | 947m | S58 | S58 | 東京索道 | H17廃止 | |
2-CLF | 駒ケ岳第2ロマンスB | 947m | S58 | S58 | 東京索道 | H17廃止 | |
2-CLF | 駒ケ岳第3ロマンス | 607m | S61 | S61 | -- | H17廃止 | |
2-CLF | かもしかロマンス | 1049m | H4 | H4 | 東京索道 | H17廃止・現かもしかクワッド | |
1-CLF | 水沢パラレルA | 634m | -- | -- | -- | H2廃止 | |
1-CLF | 水沢パラレルB | 634m | -- | -- | -- | H2廃止 | |
1-SL | 水沢Jバー | 316m | -- | -- | -- | 現存せず | |
1-CLF | 秋駒第1 |
420m |
S51 | S51 | 日本ケーブル | ||
2-CLF | 秋駒第2 |
742m |
H2 | H2 | 日本ケーブル | ||
2-CLF | 秋駒第3 |
1193m |
H3 | H3 | 日本ケーブル | ||
2-CLF | 高原第1 |
364m |
S63 |
S63 |
日本ケーブル | ||
?-CLF | 高原第2 |
451 |
S57 |
S57 |
日本ケーブル | ||
2-CLF | 第1ペア | 731m | H6 | H6 | 日本ケーブル | ||
2-CLF |
パノラマペア |
656m | H6 | H6 | 日本ケーブル | ||
2-CLF | 長嶺ペア | 713 | H7 | H7 | 日本ケーブル |
全盛期には、3つのスキー場が林立していましたが、それも過去の話。今は中央にある「たざわ湖スキー場」のみが営業を続けています。
この中でもっとも早く産声をあげたスキー場。それは、「秋田県田沢湖スキー場」でした。
秋田県での国体開催にあわせ、1969(昭和44)年に開業しました。
そして、1974-78年に撮影された航空写真でも、現在と殆ど変わらない規模を見せています。
それからも、たざわ湖スキー場スキー場は単独で秋田県最大のスキー場として威張っていました。
しかし、昭和51(1976)年、はやくも最初の宿敵が現れます。それが、千歳建物をバックに、田沢湖高原スキー場です。
田沢湖高原スキー場は、本家、田沢湖スキー場と紛らわしい名前と、温泉街からの近さで、たちまち一大スキー場へと変身...しませんでした。その理由はなんと言っても規模。ゲレンデ面積はおろか、標高差にいたっては、188mと、田沢湖スキー場の570mの半分以下といった感じで、温泉とたざわ湖スキー場のおこぼれを拾う、金魚のフンといった立ち位置に落ち着きました。
そのころ、たざわ湖スキー場では周辺の雑魚スキー場に対抗するため、新たな兵器を開発しました。
昭和58年、ペアパラレルの登場です。
このリフトの登場により、当初600人/毎時が関の山だったリフトの輸送力が、なんと!2400人/毎時という超大量輸送に対応。
たざわ湖スキー場が、殿堂の地位を確立しました。
しかし、田沢湖高原スキー場も、それに負けじと対抗兵器を開発します。
対たざわ湖スキー場用艦砲、樹氷ゲレンデの登場です。
当初188mだった標高差も、374mにまで拡充。これにて、たざわ湖スキー場と肩を並べるスキー場へと変身したかと思われましたが、知名度の違いから、依然立ち位置は変わらず、たざわ湖スキー場1強の時代が続くのでした。
最強の地位を守り抜くたざわ湖スキー場は、その豊富な資金力を利用し、新たな兵器を装備するのです。
それが、「ぎんれいクワッドリフト」です。
なんと、いままで2本で2400人輸送だった輸送力を、たった一本で同等の2400人輸送を可能にしてしまったのです。
さらに、乗客を雪の攻撃から守る、フードが装備され、最強スキー場の地盤をより固めていくのです。
しかし、そんな最強のスキー場にも、新たな刺客があらわれます。
それが、「スノーワールドタザワ」です。
ホテル東日本という、いまいちマイナーな企業を資金源に、田沢湖から最も近い立地を活かして造成されたスキー場は、標高差456mというそこそこのスペックを備え、平成6年に誕生しました。
しかし、このスキー場、出だしが遅すぎました。平成6年といえば、バブル崩壊の時期。もう既に宝は彫り尽くされたあとでした。しかも、真南を向いた斜面と標高の低さが災いして、積雪が少なく、一番はやく廃業してしまいました。
そうして、たざわ湖大戦争に勝ち抜けたたざわ湖スキー場ですが、スキー人口の減少が止まらず、危機的な状況になりました。
なにせバブルに大量に装備した12基のリフトが重くのしかかり、さらに老朽化して、大量の修理をこなさなければならなかったのです。さらに、無計画に掛けられたリフトは、それぞれの効率も悪く、無駄に燃料を消費していました。
そこで、たざわ湖スキー場は、搭載されている装備の見直しを行いました。
こうして、皆がよく知る、今のたざわ湖スキー場が完成したのです。